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H30/4/18  「日本人の心視て歩き」  写真レポート
~大阪・平野郷の史跡巡り
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今回は、大阪市内という身近なところにありながら、あまり知られていない歴史ある町「平野郷」を伊藤義麿さんの案内で訪れました。
その歴史は平安時代にさかのぼり、また、かつては堺と共に誇り高い自治都市として日本の近世史にその足跡を残した町です。
案内の伊藤さんによると
・「平野郷」は大阪市平野地区で、戦国時代に外敵から地域を守るために二重の堀、壕を築いたので環濠都市と呼ばれました。その後
  豊臣秀吉が環濠を埋めました。
・平野郷は家康の時代に再建されました。土地の有力者 末吉氏は平野地区の代官で、朱印状をもらってジャワ、マニラとの交易により
 巨万の富を築きました。
・懐徳堂の先駆けとなった含翠堂は当時の日本最高レベルの学問所でした。これを創建したのは末吉家をはじめとする平野の有力商人
 たちです。含翠堂は飢饉、水害などに備え米や救済基金を備蓄していました。
・含翠堂は今では碑が残るのみです。そのほか杭全神社、赤留姫神社、長寶寺、全興寺、大念仏寺が有名です。
・平野郷の始まりは桓武天皇が蝦夷の「アテルイ」征伐に成功した坂上田村麿の功績に報いるためその子広野麿に杭全荘を与えました。
 杭全荘(くまたのしょう)の名が「広野荘」となり、さらになまって平野と呼ばれたようです。
とのことで、
当日は大阪の地下鉄谷町線「平野」駅から出発、参加者15名。集合時間の13:30には天候も回復し予定通りに「平野郷」巡りに出発。

「平野郷」に関する資料